改竄された記憶、都合のいい真実

都合よく修正された、私の歴史について。

終わりの始まりにあたって。

今日、ここから始まる。

 

今までいろいろなブログやSNS、日記を書いてきた。今でも残っているものもあるけど、消してしまったものもある。消してしまって後悔しているのはmixiアメブロ。あの頃の自分が書いた記事をもう一度読んでみたい。

 

最近、自分の人生がひと段落を迎え、残りの人生の時間をどう過ごすのか考え始めるようになった。明日で終わるかもしれないし、あと数年かもしれないし、数十年先のことかもしれない。それは誰にもわからないこと。

 

私が好きな言葉は「明日死ぬと思って今日を生き、永遠に生きると思って学べ」だ。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
- Mahatma Gandhi

 

1年ほど前に、試しに今後15年くらいの計画と目標を立ててみたりもしたけど、今はその計画も目標も見失った。

 

「人生は壮大な暇つぶし」と言われるけど、いい加減もう人生に飽きてるし、やりたいと思うことは、ひと通りやったと思う。ある意味で私はもう自分の人生に満足している。残りの人生が長く続くことを望んではいない。

 

だから、私は、これから自分自身の「終活」を始めるのだ。

 

私が残りの人生でやっておきたいことはいくつかって、そのひとつは自分の財産の行き先(遺す人や使い途)を決めることで、もうひとつは自分の人生を書き残しておくこと。

 

書き残しておくことは、ずっと前からやろうと思っていた。10年くらい前に消してしまったアメブロもその一環だった。だから、このブログも、かつてのアメブロと少し内容が似るかもしれない。

 

この作業は、少し長い時間がかかるかもしれない。時間がかかるから、少しずつ進めておきたい。

 

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それにしても、なぜ私は自分の人生を書き残しておきたいのか。

 

たぶん、書きながら、私自身が自分で自分の記憶と思考を整理したいのだと思う。そのうえで、「本当の私はこんなだったよ。」と誰かに言い残したいのかもしれない。改竄して、言い訳して、都合のいい部分だけね。

 

でも、リアル世界の友人や知人たちに読んでもらいたいのかどうかは、まだわからない。実際、ブログを実名で書かないことの最大の理由は、私を傷つけてきた家族の名誉のためであり、ずっと素性を隠して来た現在の自分の生活の安全のためでもある。このブログは、親族には読まれたくない。友人知人は、自分が死んだ後ならどうでもいい。

 

このブログは、私の人生を振り返ることになるけど、時系列では書かないつもり。私の人生は、そんなに一貫性はないから、時系列で追う意味は無い。

 

それよりも、私の宝物は「出会った人たち」だから、「人」を基軸にして書いていこうと思う。それ、アメブロのときと同じだけど。いや、アメブロは「出会った異性」だけを書いた。今回は、同性や友人、親族のことも書くつもり。

 

あとは、私が大切にしてきた想いや価値観、生き方にも触れていく。

 

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さて、ぼちぼち書いていくよ。